マリリン・モンロー 来日

こんにちは、
ともやんです。

1954年(昭和29年)というと、僕はまだ生まれていませんが、記憶に刻まれる年でした。

まず、映画「ゴジラ」が公開された年です。
そしてクラシック音楽ファンならわかると思いますが、20世紀最高の指揮者と言われる、ドイツのヴィリヘルム・フルトヴェングラーが11月30日に68歳で亡くなりました。

敗戦から9年目で、まだまだ戦争の傷跡が残っています。

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ちなみに1月27日(水)の新聞記事では、厚生省による、戦傷病者街頭募実態調査では、平均月収は1万余円で、貯蓄30万円がざら、という結果が報告されています。

これは当時の大卒の初任給とほぼ同じ金額です。
しかし、国の理不尽な徴兵により戦場に負傷し、しかも補償もない人たちなのですから、今の僕の感覚だと当然良いと思います。
しかし、中にはこの記事を見て、人の好意に甘えていると怒る人もいたかもしれません。

僕が小学校の低学年の頃、だから昭和40年前後、母親と富山の市街地に行くと、街頭で軍服を着た初老の男性が、アコーディオンなどの楽器を弾いて、寄付を求めていました。
中には片足だけの人もいて哀れに思ったものです。

既に敗戦から20年経っていましたが、まだまだ戦争の傷跡は鮮明でした。

一方、敗戦からの復興も進んでいて、前年の1953年(昭和28年)11月23日の羽田ーサンフランシスコ試験飛行を経て、2月2日に日本航空の国際定期便第一便シティ・オブ・トウキョウが、サンフランシスコに向って羽田空港を飛び立ちました。

その前日の2月1日、「ナイアガラ」などの映画に主演したアメリカの女優マリリン・モンローが来日しました。
映画の中のモンローウォークなどで話題を集め、野球選手ジョー・ディマジオとの新婚旅行で訪れたのです。

空港には、約2千人が詰めかけ、滞在先の帝国ホテルへも多くのファンが押し寄せました。

その時の有名なモンローのコメントがあります。
来日したマリリン・モンローが帝国ホテルの記者会見の際、

「何を着て寝ますか?」という記者の質問に対して、

モンローは「シャネルの5番よ」と答えたのです。

シャネルの5番は、フランスのオートクチュール、シャネル社製の高級香水の銘柄でした。

このモンローの答えで、彼女の妖艶さを強く印象付け、名セリフとして人びとに記憶されたのです。

『ナイアガラ』(1953年)

『ナイアガラ』(1953年)

魅惑の“モンロー・ウォーク”が誕生したマリリン・モンローの代表作

見どころ
雄大なナイアガラを舞台に、男女の愛憎劇をサスペンスタッチで描出。マリリン・モンローが甘い歌声と妖しい魅力で悪女を演じ、ハリウッド女優の仲間入りを果たした。

ストーリー
ナイアガラ瀑布へ新婚旅行に出かけたジョージとローズの夫婦。2人と同じホテルに宿泊した夫婦は、ローズと若い男の密会を目撃する。実はローズは、愛人と共に夫を殺害する計画を立てていたのだ。ところが、翌朝見つかったのは愛人の遺体だった。

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本ページの情報は2021年4月時点のものです。
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