輸入品がバカ高かった昭和30年代

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ロシアで知ったUS$の力

僕は、1989年から1994年に掛けて仕事で、
ソ連のモスクワに行っていました。

 

89年に行った時は、まだソビエト連邦でしたが、ゴルバチョフのすすめてペレストロイカから、連邦が崩壊して、ロシア共和国になり、僕はちょうどソ連からロシアに変わる時期に幸いにも出くわしたのでした。

 

ソ連時代に驚いたのは、煙草の力でした。

 

当時僕は、まだ煙草を吸っていて、マルボロ・ライトをよく吸っていたのですが、これでタクシーにも乗ったし、お土産としても喜ばれました。

 

よく街角で煙草吸っていると、1本くれない?と寄って来る男が
多かったですね。

 

そして、連邦崩壊後の混乱期は、US$が頼もしく思えるくらい重宝しました。

 

日本円も通用しましたが圧倒的にUS$人気がありました。

 

もしかして、昭和20年代の戦後の混乱期の日本もそれにいた状況だたのでしょうか?

 

街頭には、物売りの出店が出ていたり、売り子が寄ってきて、
物を売りに来ました。

 

マトリョーシカとかバッジみたいなもの、買いましたね。




舶来品という言葉は死語

いまではお年寄りの方でも、舶来品という言葉は使わないでしょう。

 

でも僕が少年時代は、大人たちは、舶来品と言って
有難がっていました。

 

特にお酒なんかそうだったように記憶します。

 

何と言っても当時まだ子供だったので、舶来品という言葉の響きだけが
残っています。

 

ちなみに昭和30年代は、1ドルが360円。

 

ジョニ黒の愛称で崇められていたジョニーウォーカー黒ラベルが、
9000円以上(今の感覚なら15万円くらい?)

田中角栄が愛飲していたというオールド・パーは1万数千円で、
一般人の平均月収でした。

 

煙草も洋モクなどと呼ばれ、マルボロが800円もしていたそうです。
(ちなみにハイライトは70円)

 

ジョニーウォーカー黒ラベルは、僕がお酒を飲み始めた40年前も
高級酒でしたし、僕がまだ煙草を吸っていた20数年前も

マルボロは高かったですよ。

 

そう言えば、大藪春彦の傑作「汚れた英雄」の主人公、北野晶夫が、
浅間レースに出場すため、リヤカーにオートバイを積んで、レース場に向かう途中に休憩がてら腰を下ろして、洋モクのキャメルを吸うシーンが印象的だったな。

 



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