本当は怖い昭和30年代は、本当です。

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こんばんは、
サイト管理者のともやんです。

 

ALWAYS三丁目の夕日を観て、
あの頃はよかった、と思ってる方も多いのではと思います。

 

また実際に生きていた人も懐かしがる人も多いでしょう。

 

しかし、少なくても僕は戻りたくありません。
なぜかって?
もちろん、今の方が良いからです。

 

また鉄人社という出版社から出ている、
こんな本もあります。

 

 

そこで、このブログでも僕の記憶を辿って取り上げて行きたいと思います。

 

さて、僕は1957年(昭和32年)生まれで、今年60才になります。
だから昭和30年代と言っても辛うじて幼稚園の年長から、
小学1年生くらまでしか覚えていません。

 

僕が現代と比較してもっとも違いを感じることは、
通信と移動手段の違いです。

 

まず、通信手段に関して。
小学生ですから、友達と連絡取り合うのは、
実際に会ったり、家に行ったり、遊び場に行ったりで、
直接、相手の顔を見てする以外ありませんでした。

 

年賀状に関しても、小学2、3年ころから出すようになりましたが、
その程度で、あとは手紙でした。

 

また個人情報の保護なんて概念は全く無く、
クラス名簿は、住所、氏名、電話番号は当たり前、
もしかして生年月日の書いてあったかもしれません。

 

電話番号と言ってもある家は少なく、僕の家なんか電話が入ったのは
僕が高校生になってからで、なんと昭和50年代になってからでした。

 

それまでは隣の家に掛かって来たのをとなりのおばさんが、
我が家へ、電話と言って呼びに来ていました。

 

高校になって家に電話が入った時も女の子に電話する時は、
家族に聴かれたくないので、近く公衆電話でしていました。

 

今の様に携帯電話、メール、LINEなどの連絡手段があれば、
もっと女の子とを密に連絡取れたのにと羨ましくてしょうがありません。

 

そして交通手段。
僕は北陸の富山市というところで育って、しかも市の中心から
数キロ離れていて、電車かバスでしたが、1時間に1本くらいしかなく、
富山市の繁華街に出るなんてめったにありませんでした。

 

それでも、父は奮発して僕が中学生なった頃には、
軽自動車ですが、我が家にありましたね。

 

それまでの父は125ccか250ccのオートバイに乗っていて、
僕は良く父の後ろに乗って出掛けていました。

 

このころはもう昭和40年代ですけどね。




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