『ザ・ビートルズ』初レコーディング ハンブルクツアーで

こんにちは、
ともやんです。

このブログは、1964年(昭和39年)から2020年までの世の中の出来事を適当に取り上げて書いていくブログです。

記事を書いているのは、ともやんこと私、62歳の個人事業主ですが、1964年当時は、小学1年生で、東京オリンピック開会式の時には、7歳になっていました。

だから、オリンピックの記憶としてはしっかり憶えているのですが、僕より年下になると、せいぜいおぼろげとしか憶えていないようです。

実際、1歳半(学年で1学年下)下で当時5歳半だった妹は、ほとんど憶えていなそうです。

さて、前置きが長くなりましたが、今日は多少時を遡って61年(昭和36年)のことについて書きたいと思います。

なぜか、あのザ・ビートルズが初めてレコーディングした年なのです。

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1961年 ザ・ビートルズの初レコーディング

1961年2月9日に、ビートルズとして初めてキャバーン・クラブに出演しました。

そして4月1日から7月1日に、2度目のハンブルク・ツアーに行き、トップ・テン・クラブに出演しました。

そして、そのツアー中の6月22日と23日にトニー・シェリダンのバック・バンドとして初の公式録音を行いました。

全部で8曲録音し、ジョン・レノンは、Ain’t She Sweetでリード・ボーカルを取りました。

1961年 ザ・ビートルズの初レコーディング スチュアート脱退

前年の1960年にビートルズが1回目のハンブルクーツアーを行っていますが、

当時メンバーでベースと担当していたスチュアート・サトクリフは、そこの知り合った女性写真家と恋に落ち、帰国しなかったので、この時からポール・マッカトニーがベースを担当することになりました。

だから2度目のハンブルク・ツアーの時には、スチュアートは、正式にビートルズを脱退しました。

なお、スチュアートは、翌62年4月10日に21歳の若さで、脳内出血で亡くなっています。

ザ・ビートルズの初レコーディング トニー・シェリダンと

トニー・シェリダンは、イングランド出身のロック歌手でギタリストです。
年齢は、ジョンと同じ1940年生まれ、2013年に72歳で亡くなっています。

この頃、ビートルズで共演して、ビートルズがトニー・シェリダンのバックを受け持ったり、逆にシェリダンが、ビートルズのバックを務めたりしていたようです。

ただ、ビートルズの最初の録音は、トニー・シェリダンのアルバムへの録音で、バンド名もビートルズではなく、ビート・ブラザーズに変えられてしまいました。

しかし、このレコーディングでは、ジョンが歌う”Ain’t She Sweet”とジョンとジョージの共作曲”Cry For A Shadow”という素晴らしいテイクも含まれていました。

面白いことに、ビートルズがデビューして売れ始めると手の平を返したようにタイトルを「ビートルズ・ウィズ・トニー・シェリダン」に変えています。

まとめ

ジョン・レノンは、音楽活動だけでなく、

7月に『マージー・ビート』というリバプールの音楽紙の創刊号にビートルズの名前の由来についてユーモラスな記事を書くなど、

同紙に多くの文章を寄稿し、さまざまな芸術分野に渡る才能を見せ始めていました。

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