1964年のオリンピック 東洋の魔女の思い出

こんばんは、
サイト管理者のともやんです。

 

1964年の東京オリンピックで、
マラソンの円谷選手の次に思い出深いのが、
です。

 

 

決勝戦のソビエト連邦との闘いは、
真剣に観ていた記憶があります。

 

ただ試合の経過は、ぜんぜん思い出せないのに、
日本の選手とソ連の選手との表情やしぐさなどは
覚えています。

 

日本の選手は、ポイントを取るとメンバーが
集まって笑顔で喜んでいました。

 

一方、ソ連の選手は、表情も崩さず、
他の選手と軽くタッチする程度でした。

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だからソ連の選手からは冷たい印象を受けました。

 

でも、でもこの時から25年後、僕はソ連のモスクワに来ていました。
ダイヤモンドの買い付けです。

 

ソ連は世界でも有数のダイヤモンドの原産国で、
大規模なカッティング工場も所有しています。

ソ連の人は冷たいと感じてから25年。

 

僕はソ連で暖かい人たちに接することが出来ました。




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