こんにちは、
ともやんです。
新幹線の認可は、1959年(昭和34年)、予算は初年度30億円でした。
その年の夏、十河信二(そごうしんじ)国鉄総裁に世界銀行への借款を勧めたのが、
のちに総理大臣になる佐藤栄作でした。
「こんな大工事は一内閣の期間では完成するはずがない。
内閣によっては方針がどうかわるかわからん。
世界銀行からどかんと融資を得ておけば、その時の内閣もやらざるを得なくなる。
外から縛ることができる」
という考え方だったのです。
そこで全工事費3800億円のうち、288億円を世界銀行から借款し、工事期間は5年かかるところ、3年半の突貫工事でオリンピックに間に合わせました。
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東海道新幹線記念碑に見る時代の息吹
作家の半藤一利氏が、自分の著書の中で、JR東京駅にある、新幹線記念碑が、すこぶる良いと書かれています。
その半藤氏の文章を以下に引用しますと
“いまも時々、東京駅で東海道新幹線に乗るとき、
18・19番線階段下の突き当りの壁にはめ込まれている銅板の文句を読むことがあるんです。
これがこよなくいい文句なのです。中略
どうです。
驕りも高慢さも思い上がりもなく、さわやかさいっぱいの文章ですね。
運輸大臣や国鉄総裁の名前なんかない。日本国民みんなで造ったんだと。
これがとにかく五年を三年半に縮めた最大の理由があったんです。”
その半藤氏を感動させた文句が以下の文章です。
東海道新幹線
この鉄道は日本国民の叡智と努力によって完成された。東京・新大阪間 515km
起 工 1959年4月20日
営業開始 1964年10月1日
この新幹線記念碑は、1967年(昭和42)年にJR東京駅、18・19番線ホーム中央付近階段下に設置されました。
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