オート三輪のダイハツミゼット 日本の物流を支えていた

こんにちは、
ともやんです。

ダイハツミゼットは、昭和30年代、

日本がまだ貧しかった頃の物流を支えた乗り物でした。

映画「三丁目の夕日」や「稲村ジェーン」に登場し、

再び注目されたので、記憶に新しい方もいるかもしれません。

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オート三輪のダイハツミゼット 業界初のTVCM

戦後の日本の物流を支えたのは、オート三輪といっても過言ではありません。

オート三輪は、安く、小回りが利き、悪路にも強い乗り物でした。

戦前からそれを手掛けていたダイハツが、軽自動車第一号としてオート三輪を選んだのは、当然と言えば当然と言えます。


※月間自動車 2014年6月号 特別別冊付録からの切り抜き

そして、このクルマは、売り方のうまさでも多くの人の記憶に残っています。

さすが、大阪商人と言いたいところです。

当時大人気だったコメディアンの大村崑をイメージキャラクターとし、業界初の生テレビCMを打ったのでした。

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オート三輪のダイハツミゼット 商店街の人気者

 

1959年(昭和34年)に登場した2代目では、

ボディサイズを広げ排気量も305ccまで拡大しました。

2灯式ヘッドランプを備えたノーズをもち、ドアや丸ハンドルも採用しました。

二人乗りも可能になりました。

映画「三丁目の夕日」や「稲村ジェーン」にも登場し、再び注目されるようになりました。

オート三輪のダイハツミゼット 低価格と使いやすさを追求

初代ミゼットはオート三輪の流れを汲む、オートバイのようなバーハンドルでした。

フレームをまたいで乗る一人乗りでボディサイズは当時の軽規格よりも小さく、排気量は250ccでした。

徹底的に低価格と使いやすさを追求していました。

2代目は、305cc12PSエンジンで、350kgの積荷で最高速度65km/hというスペックでした。

シートは2人掛けでソフトなラバークッション、スライド式サイドウインドウやフロント強化ガラスを採用していました。

最後に

僕の妻は、元ダイハツの社員でTVコマーシャルなどに携わっていました。入社したのが、男女雇用機会均等法が施行された初年度の1987年。

研修で初めて大阪に行ったとき、いきなり「あんた」呼ばわりされたとショックを受けたそうです。それを聞いて、関西系の方言がある富山出身は、「あんた」は丁寧語やと言った覚えがあります。

当時のダイハツには、まだミゼットの大ヒットを懐かしむ古参社員が残ていたそうです。終身雇用の時代ですから、50代の社員にとっては懐かしい思い出、まさに「ALWAYS 三丁目の夕日」そのものだったことでしょう。

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